質問1341:大事なポイントは観念を作らない事?

回答ありがとうございます。

とても腑に落ちました。

快は全て錯覚であると。
快と不快を避けるのは、なるべく苦しまないためであり、また今を生きるためということですね。自分主観の観念(楽しい、嬉しい、幸せなど)を作ることで、それは僅かな時間ながらも今を生きられていないと。

日常で目指すのは主観を元に観念を作らず、この身体で感じてさらさらと受け流す。当然快も求めない。つまり以前でたただ生きる。という認識であっていますでしょうか。

ただ吉田さんも仰るように完璧にそのように生きることは難しい(人間に可能?)というのもありますし、
環境として苦が存在する場合、それを和らげる快(より少ない苦)を求める程度のことはしてもいいということでしょうか。

なるべく自然に身を任せ、起こることを体感していく。生きる。その上でテニスや友人との会話や食事をした時にただ感じる。なるべく主観は交えない。という場合には良いのでしょうか。

今回吉田さんから教わったことで大事なポイントは観念を作らない事だと認識しましたが、どうでしょうか。

ご回答お待ちしております。


回答
仰せの通りです。
「一切皆苦」ではあるけれど私たちは、
お腹が減っても何も食べずにいられるわけではありません。
「空腹の苦」を、「食事の苦」で和らげます。

ところが、多くの場合は、度が過ぎるのですね。
端的な例かもしれませんが、
それが証拠に「食べ放題」が人気です。

「元を取らなきゃ!」と焦るのも苦ですし、
お腹いっぱいになって気持ち悪くなるのも苦。

対照的なのが、「精進料理」などの粗食でしょう。
多くの場合、「味気ない」「もの足りない」というふうに、
ストイックな印象を持たれてしまいがちですけれども、
空腹の苦を緩和してなお、(ほぼ)苦しまずに済む、
実はとても幸福なメニューといえます。

ちなみに「幸福」について定義しておきますと、
多くの人は、美味しい物をお腹いっぱい食べる快などを幸福と言いますけれども、
再三お伝えしましたが快は錯覚であり、食べ放題で分かるとおり「苦」です。
ここでは、くだんの「箸置き」が有効活用される暇がありません…。

ですから、幸福とは苦しみがない=空。
快感が「ある」のではなく、
苦悩が「ない」のが、幸福です。

この根本を履き違えると、
「どこかに快があるはずだ!」と探し求めて、
自ら苦の総量を増やしてしまうのです。
くだんの「マゾヒズム」はそういった超越の境地、です。

「知足」という智慧。
「足るを知る」というのは、
我慢するというストイックな姿勢ではなく、
「超幸福」を約束するキーワード。

だけど多くの人は「そんなのツマラナイ」「贅沢したい」といって、
「刺激」を求めるから苦しくなるというのも、
再三申し上げてきました。

アイスは美味しいという観念を作ると、
本当のアイスの味は分からなくなります。

多くの人は、
「ガリガリ君とはこういう味だ!」という観念を、
頭の中で再現しているだけで(再現しているせいで)、
今、ここ、この瞬間のガリガリ君を味わえずにいます。

この「観念作り」がクセになったのが、
いわゆる「固定観念」です。

テニスでもよくあります。
例えば「強く打つにはトップスピンをかけないとコートに収まらない!」
とする固定観念に捉われると、
「スイングは下から上」に固定されて、
柔軟な対応を損なう原因になったりします。

ガリガリ君を「生まれて初めて食べる」つもりでいただくと
(と言いますか、そうなのですけれども)、
フレッシュな情報が観念を介さずダイレクトに反映されます。

生まれて初めて打つボールのつもりでスイングすると
(と言いますか、そうなのですけれども)、
フレッシュな情報が観念を介さずダイレクトに反映されます。

ガリガリ君は絶えずして、しかも元のガリガリ君にあらず。
ボールは絶えずして、しかも元のボールにあらず。

1口目と2口目とでは、溶け出したりして触感が違っているはずです。
1打目と2打目とでは、フェルトが削がれ内圧も下がり、打感が違っているはずです。

これも以前お伝えした、一期一会のエッセンスです。
この人と「生まれて初めて会う」つもりで対峙すると
(と言いますか、そうなのですけれども)、
フレッシュな情報が観念を介さずダイレクトに反映されます。

すると相手にまつわる「嫌な奴」「怖い人」「優しい性格」などという、
固定観念に縛られないから、
その時々のリアルタイムに即した柔軟な対応ができるでしょう。

何より「あの上司は気難しいから……」などと心配するストレスが「無い」から、
精神衛生上、幸福なのです。

「そんなことはない!
あの人は気難しいから対策を立てておいた方が、対応しやすいはず!」などと、
言い張る人も中にはいるかもしれません。

確かに、その可能性もわずかに無きにしも非ずですが、
原理原則を言えば「諸行無常」です。

相手の気分も刻一刻と変わり、常では無い。
私たちの気分だって、ウキウキしたり、イライラしたりと、
無常ではないでょうか?

むしろ、
気難しいという観念を固定化させることにより自ら発っする怒りのオーラは、
相手にそれとなく伝わりますから、対策を立てようとすればするほど、
余計に相手の気難しさを引き出す藪蛇になりかねないのです。

ですから最初にご質問いただいたときに、
「戦術を考えても仕方がない」とお応えしましたのは、そういう理由によります。
一期一会なのですから、対策を立てようとすればするほど藪蛇。
観念を固定化すると、策士策に溺れます。

いずれにしてもこのような「観念作り」が癖になると、
私たちは世の中をほとんど(いえ全くと言っていいほど)、
ありのままに見られなくなります。

面白くないですか!?
私たちが見ているのは「フィクション」や「夢」のような世界で、
現実は全く違うパラレルワールドが広がっています。
そして、世の中のほとんどの人が、現実をありのままに見ていません。

どうすれば、見られるようになるでしょうか?
仰せの通り、体感レベルでサラサラ流すこと。
言い換えれば、頭脳で観念を固定化しないこと、です。


最後に話は逸れますが、
ロングセールスを誇るガリガリ君も、
発売当初から改良に改良が重ねられ、
味も食感も進化しているに違いありません。

なのに「ガリガリ君はこんなもの」という固定観念があると、
今、ここ、この瞬間のガリガリ君を味わえなくなる。

それと同じようにテニスでいえばゴーセンの『ミクロスーパー』は、
30年近くに渡るロングセラーですがマイナーチェンジが重ねられ、
同じ名前でも中身は格段に進化しています。

「『ミクロスーパー』はこんなもの」という固定観念があると、
価格に対するパフォーマンスの真価を見誤ります。
ありのままに見られなくなるのです。

『ミクロスーパー』は絶えずして、しかも元の『ミクロスーパー』にあらず。
ありのままに見られるようになるには、体感レベルでサラサラ流すこと。
言い換えれば、頭脳で観念を固定化しないこと、です。

 

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO トップページ
http://www.tenniszero.jp/

▲このページのトップに戻る