質問1350:憂鬱になるのは、なぜだか分からない

回答ありがとうございます。

過剰に解釈してしまいました。
なるべく量を減らして、必要最低限で徐々に減らしていこうと思います。

食事に関して質問があります。
以前身体に必要なものは身体が分かっている。という旨の話をして頂きましたが、人が食べたいと思うものをそうであるという認識で美味しく頂きけばいいのでしょうか。

食べたいと思う時、必ずしも空腹ではないということがあり、お聞きしたいです。

食べたいが欲求であるのか、必要であるのか見極めがつかないのと、欲求であっても摂取していいのでしょうか。(時間通りに食べることはせず、好きなタイミングで食事を取っています。)

またアトピーについて、治したいという思ってしまいます。苦を生むからです。痒み自体も辛いですし、乾燥も不快感です。見た目も無残で憂鬱になります。憂鬱になるのは、なぜだか分かりません。他人に酷い肌の状態を見られたくないと思ってしまいます。なぜだか分かりません。

治したいという思いは期待になってしまうのでしょうか。

もうひとつ質問があります。睡眠についてです。
最近あまり寝つけません。アトピーが関係する場合もありますが、痒みがない時でも寝つけません。夜中の2時くらいになってきてようやく眠れます。でもその時間に寝ると朝は起きれず、昼頃に起きます。ここ最近はあまり学校にも行けてません。このままでは留年するというのもありますが、学校生活は好きなので行きたいです。

何か助言を頂けないでしょうか。


回答
「人が食べたいと思うものをそうであるという認識で美味しく頂きけばいい」のは、
「空腹」であることが前提だと思います。

空腹でない時には、欲求で食べますから、
身体というよりも、頭で求めるものを選んでしまいがちです。

ですから「満腹になってもまだ食べたい!」という時には、
「別腹」などと称して、甘い物が選ばれたりしがちです。
これは、身体ではなく、頭が貪りたがる不適切な判断です。

仰せの通り、「欲求」か「必要」かの見極めが大事で、
「必要」(空腹)であるなら、好きなタイミングで食事をとって構いません。
具体的には、お腹が「グーッ」と鳴るというのがサインの目安(笑)。
ちゃんと、身体が分かりやすい反応で知らせてくれるのです。

「欲求」の場合は頭による判断なので、
身体が求めていない「不必要」なものを選んでしまいがちです。

これも、生存欲求が強いために、
かえってヘマをやらかし生きづらくなる一例でしょう。
頭がいつまでも生きたいと願うから、必要以上に貪ってしまう。

生きることと食べることとは、蜜月関係で、
生きたい人ほど、多く食べ過ぎてしまいがちです。

そもそも空腹でない時に、食べたいと思うのは不自然。
先述しました通りライオンは、お腹が満たさせている時には、
獲物のウサギが目の前を通ってもスルーです。
無益な殺生をしないところがさすが「百獣の王」です。

ちなみに、ストレスと食欲も蜜月関係です。
痩せている人は、食欲を我慢しているのではなく、
ストレスが少ないから、食欲が過剰にはなりません。

太っている人はむしろ食欲を我慢しようとするから、
そのストレスが強くなり、食欲が過剰になりやすいのです。


「治したい」という思いは、「期待」になってしまうでしょうね。
現状は治っていないのだから、
そのギャップがストレスになります。

ストレスが治癒に、有効的に作用するかと言えば、
そのような道理はありません。
原理原則は「悪化」させます。

つまり、「治したい」という思いのせいで、
余計に治りにくくなります。

見た目でなぜ、憂鬱になるのか?

「ハゲを他人に見られて憂鬱になる人は、世界中のハゲを敵に回す」と、
私はよくお伝えしています。
ハゲの中にも、堂々と立派に生きている人はごまんといます。

ブスだからといって落ち込む人は、世界中のブスを敵に回します。
ブスでもイキイキと生きている人もごまんといます。

「憂鬱」になるのはその前に、
「爽快」(と主観的に感じた状態)が薄れる過程です。
前にもお伝えしました。

日常でも、何かイライラする時というのは、
その少し前に、ウキウキすることがあった状態が色褪せる過程。
逆にウキウキする時というのは、
その少し前に、イライラすることがあった状態が色褪せる過程。

わけもなく、イライラしたり、ウキウキしたりするのではありません。
色褪せるから、イライラしたり、ウキウキしたりするわけなのです。

喜びがあっても「無常」ですから、その感情も移ろいます。
ずーっと続くわけではありません。
色褪せていく定めです。

その喜びが薄れる過程に「虚しさ」「不満」「不安」を覚えるから、
「褒められても、喜ばないないように」
「けなされても、落ち込まないように」
心がブレてしまわないようにトレーニングするのです。

だけど、「けなされても、落ち込まない」のは当初はすごく難しいですから、
まずは「褒められても、喜ばない」ところから始めて、
徐々に、快と不快に揺らぐ心の振幅を鎮めるのが、
具体的な「平常心」を培う手習いです
(振幅が病的に拡大するのが、躁鬱状態です)。

単純な「比較」でしかないんですよ。
月給が15万円の人が、20万円になったら喜ぶでしょう?
それは、15万円に対する「比較」を見たからです。

ところが、どうでしょうか?
20万円の月給では徐々に飽き足らなくなり(無常)、
もっと貰っている人と「比較」して、
25万円、30万円と欲しくなります。

あまつさえ、また15万円に下がったとする。
元に戻っただけですのに、
今度は20万円と「比較」して、強烈な「不快」に苛まれるのです。

そのような振幅を鎮めて一喜一憂のない心を養成するのが、
『集中力のトレーニングBOOK』です。

以前、快を感じたかったら、
思い切り不快な環境に身を置いてごらんなさいと、仮にご提案しました。

パワハラでもイジメでも貧困でも差別でも極寒でも何でもいいから、
その渦中に身を置いてみる。
そうすれば、もとの環境に戻ってくるだけで、
快が感じられるようになりますよと。

とはいえ、味をしめてそのようにして快を求め続けると、
本人でも気づかないレベルで苦の総量を増やしてしまうので、
本格的にはやらないでください。
くだんのマゾヒズムになってしまいます。

あれはあれで、
本人が気持ち良ければそれでいいとも申せますが、
う、うーん、真理の面から言えば幸福ではありません。

快は実存せず、苦が緩和した一時的な錯覚。
やっぱり、どうしたって、
「一切皆苦」の理法からは逃れられません。


睡眠(不眠)についても同じです。
「寝なきゃ、体調を崩す!」
「寝なきゃ、明日起きられない!」などと思考が働くせいで、
余計に寝つきにくくなります。

どうして、そのようにネガティブな思考が生じるのでしたっけ?
そう、私たちが「刺激中毒」だからでしたよね。

特に「寝床」というのは基本的に、
他に一切の刺激がありませんから、
思考の刺激を膨らませてしまいがちです。

あえて安らげる寝床で考えなくてもいいのに、
明日のテストの心配や、クラスメートの無礼な態度を、
何度も反芻したりしがちです。

あまつさえ普段は気にもしない秒針のチクタク音にさえ、
イライラしてしまいがちです(笑)。
「眠れなくて困る!」という苦しみを、心が喜んでいるのです。

「眠れなくてもいいや」と開き直れば、眠りやすくなります。
その上で、思考に翻弄されないように、
今、ここ、この瞬間に心を留めます。

具体的には、呼吸に集中。
呼吸は、快でも不快でもないニュートラルな刺激ですから、
心は穏やかに落ち着いて、眠りやすくなるはずです。

私が再三、「薬ウンヌン」申し上げるのは、
だからといって安易に「睡眠薬」を求めるのは危険だからです。

確かに、当初は眠りやすくなるでしょう(苦が和らいだ状態)。
しかし、近いうちに薬に対する「耐性」ができてしまいますから、
同じ量の睡眠薬では効かなくなります。
余計に眠れなくなります。

すると量がどんどん増えて(それによる副作用もどんどん増えて)、
薬に「依存」する人生となり、
薬がないと生きていけなくなってしまう。

あまつさえ、
睡眠薬を飲み過ぎるために胃腸が荒れるから整腸剤を飲み、
整腸剤を飲み過ぎるために腹痛が生じるから炎症剤を飲みと、
薬の副作用を薬で押さえようとする、
チェーンリアクションになってしまいかねません。

先述したように、咳がひどく喉が痛くて仕方がないような、緊急事態は別。
しかし常用・多用・乱用すれば、肝心な「自然治癒力」を損なう定めです。

 

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