質問1357:いかなる客観的事実があろうと大切なのは感じ方では?

回答ありがとうございます。
遅くなりすみません。またご回答頂けたらありがたいです。

まず主観的事実という点について、たしかに主観ですから事実ではありませんね。

吉田さんの仰るように、快は苦を産むのだし、自分だけ快を感じればいいんだは多くの迷惑をかける。ということについては納得しております。

自分が主観的事実(事実は誤用)が大切というのは、いかなる客観的事実があろうと大切なのは感じ方では。ということです。

たしかに快についてはよく注意しなくてはならないし、それは真理だと思います。しかしそこまで極端に行かなくとも、もっとありふれている小さな苦が客観的事実として苦だとしても主観的に苦だと感じない場合もあるのではないかという程度です。


色々と難しく考えすぎていたかもしれません。
今まで教えて頂いた客観的事実を咀嚼し、反芻したいと思います。

話は変わりますが、質問があります。ここからはサイトに載せて頂きたくないのですが、

(以下略)

お返事お待ちしております。


回答
苦が緩和した一瞬だけ錯覚するのが、
快だとご説明しました。

一瞬だけ錯覚する快の代償として、
長期的には苦を育むと言えるかもしれません。
それは、「執着する」という観点からいって確かな事実です。

例えば食べたケーキが美味しくて、快を感じたとします。
しかしその快が継続するのは、長くてせいぜい3分くらいでしょう。

3分くらいは、「美味しかった」と思えるかもしれません。
しかしその裏では、ケーキに「執着する」永続的な苦が育まれています。

前にお伝えしました「勉強のご褒美」に限らず、
肝心かなめの「集中力」損なう原因になるからです。

なぜ集中力が肝心かなめなのかと申しますと、
すでにお伝えしているとおり、
(心身にとって万病のもとである)ストレスを生まない力だからです。
それが、損なわれる。

いえ、これは何もケーキに限った話ではありません。
主観的事実として快だとしても、
執着すれば、音楽やお金、異性さえ、苦しみに変わるのです。

「自分は執着なんてしない!」
そう思い込んでいる人ほど危ないというのも、
すでにお伝えしている通りです。

「3億円の宝くじが当たっても、自分は絶対に散財しない!」
「堅実に貯蓄しておける!」などという人ほど、破産まっしぐら。

心は、環境や状況によってどうなるか分からないのですから、
「自分は3億円が当たると散財するかもしれないから危険だ」と、
よくよく気を付けておかなければならないのです。


それから本当に申し訳ないのですけれども、
サイトに載せるも載せないも、
私はそれについて、全く何も知りません。

恐らく世間の人たちよりも、それについて何も知らない。
世間の人たちがどれだけ知っているのか、
認知度があるのかないのかすら、知りません。

その私が全く存じ上げない方々が、
「一切皆苦を受け入れない」「その言葉を知らない」とおっしゃったのであれば、
ひとつの可能性として、皮肉でもなんでもなくって、
「悟っている」のかもしれません。

ひとつ、言い忘れていました。
一切皆苦を超越したレベルがある。

それが、一切の執着をクリアした、
ご自身も関心があるとおっしゃった「悟り」です。

ちなみに一切皆苦も、
集中力が高まれば釈迦でなくても、誰だって分かる事実です。
すべての刺激は「苦」だと。
ぼんやりとしか感じられないから、「快」だと錯覚するのです。

言い換えれば、
苦だけが「現実」(リアル)で、快は「主観」(バーチャル)。

この苦(リアル)を快(バーチャル)に改ざんしてしまう、
脳の情報処理をストップしていく(ありのままに見る)のが、
悟りへのプロセスそのものです。

「いかなる客観的事実があろうと大切なのは感じ方では。」
違います。
「いかなる感じ方があろうと大切なのは客観的事実」です。

客観的事実に基づかないと、
さまざまな判断を誤ってしまうからです。

 

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